南国Breath

南山国際の閉校に関して

南山国際の歴史

 そもそも南山国際はなぜ作られたのか。南山国際のハンドブックには次のように書かれている。

「南山学園は、1978(昭和53)年4月、帰国生徒の受け入れを決定し、南山中学校男子部・女子部にそれぞれ4名の受け入れ枠を設定した。翌年には、帰国生徒の受け入れと教育を円滑にするために、『帰国子女特別学級』を設置。1981(昭和56)4月にはその『特別学級』を廃止し、南山中学校に男子部・女子部に並ぶ『国際部』を設立した。出発時の生徒数は21名であった。翌年、高等学校にも国際部が設置された。以降、国際部の生徒数は年々増え続け、1993(平成5)年4月1日に南山国際高等学校・中学校として豊田市に開校の運びとなった。」

 1970年代から80年代にかけ企業の海外進出に伴い、帰国生徒の数も多くなっていった。海外の日本人学校に通っていた場合はよいが、現地校に通っていた場合は、帰国後の学校生活に大きな支障をきたす。その帰国生徒の受け皿となる学校が、この地方でも必要となったわけである。東京や大阪などは学校の数も多いが、愛知県では当時、受け入れをしてくれる学校がほとんどなかった。そのため、南山学園がその受け入れのための学校として国際部をつくった。

 その後、国際部の生徒数は増え続けたため、第2次世界大戦前からある校舎では手狭になったこと、学校の敷地となる土地が豊田市から無償で貸与できることなどから、現在の豊田市に移転し、独立した南山国際高等学校・中学校となった。

 移転後も生徒は増え続け、ハンドブックの資料によると2008年度には726名になっている。このころは編入試験が2週間に1回ほどの割合で行われており、1年間で各学年20名程度の編入生が入ってきたことが分かる。この生徒数は、5月1日現在の数字であり、年度末には800名程度の規模になっていたことがうかがえる。

 しかし、2013年度から中学校の入学定員を45名にし、編入試験も年間3回、編入生徒の募集人数も年間各学年5名程度と変更された。そのためその後は生徒数が減り始め、現在(2016年9月)は400名程度まで減ってきている。